『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』シリーズは、2000年代初頭に放送されたテレビアニメとして高い評価を得てきた。押井守監督の劇場版とは異なるアプローチながら、近未来の情報社会と人間のアイデンティティを深く掘り下げた内容は、多くのファンから愛されてきた。しかし、2020年にNetflixで配信が開始された『攻殻機動隊 SAC_2045』は、シリーズのファンから「ひどい」「期待外れ」という厳しい批判に晒されることとなった。本記事では、なぜ『SAC_2045』がこれほどまでに批判を受けるのか、その理由を多角的に分析する。

3DCGアニメーションの質への失望

『SAC_2045』が批判される最大の理由の一つが、その3DCGアニメーションの質である。従来の『攻殻機動隊』シリーズは、緻密な作画と独特の色彩感覚が特徴的だった。特に、神山健治監督による『STAND ALONE COMPLEX』シリーズは、2Dアニメーションの可能性を追求し、静と動のバランスが絶妙な映像美を誇っていた。

しかし、『SAC_2045』ではProduction I.Gとソリッドボックスが共同で制作した3DCGが採用された。結果として、キャラクターデザインは従来の雰囲気を失い、特に素子の顔は「プラスチックのような質感」「表情が乏しい」と批判された。アクションシーンも、従来の『攻殻機動隊』が持っていた重厚感やリアリティが失われ、ゲームのカットシーンのような印象を与えてしまっている。

ストーリーの陳腐化

『攻殻機動隊』シリーズの真骨頂は、近未来のテクノロジーと社会問題を絡めた深いテーマ性にあった。サイバーテロ、AIの自我、記憶の改竄など、90年代から2000年代初頭にかけて先見性のあるテーマを扱ってきた。しかし、『SAC_2045』のストーリーは「持続可能な戦争」というコンセプトこそ興味深いものの、その展開や描写が浅く、従来の『攻殻機動隊』が持っていた哲学的深みを感じさせない。

特に、新キャラクターの「ポストヒューマン」たちの描写は単純で、従来の『攻殻機動隊』が描いてきた「人間と機械の境界」というテーマを深掘りする機会を逃している。物語のペースも乱れがちで、12話という短い尺の中で多くの要素を詰め込みすぎた印象を受ける。

キャラクター描写の劣化

『STAND ALONE COMPLEX』シリーズでは、草薙素子をはじめとする公安9課のメンバーそれぞれが深い背景と個性を持ち、その人間関係も丁寧に描かれていた。特に、タチコマのAIたちの存在感は大きく、物語に温かみとユーモアを与えていた。

一方、『SAC_2045』ではキャラクターたちの魅力が大幅に薄れている。素子は従来の冷静沈着さがやや誇張され、感情的な側面が失われたように見える。バトーやトグサなどの主要メンバーも、単なるアクション要因として扱われがちで、過去シリーズで築かれてきた深みが感じられない。タチコマの存在感も低下し、物語の重要な要素として機能していない。

音楽の魅力の後退

『攻殻機動隊』シリーズの魅力の一つは、菅野よう子による卓越した音楽だった。『STAND ALONE COMPLEX』のオープニングテーマ「inner universe」や「rise」は、シリーズの世界観を象徴する名曲として今もファンに愛されている。

しかし、『SAC_2045』では音楽が従来のシリーズと比べて印象に残りにくく、世界観を支える要素として機能していない。オープニングテーマもエンディングテーマも、過去作品ほどのインパクトを残せていない。

テーマの希薄さ

従来の『攻殻機動隊』が「人間とは何か」「自我の本質」といった深遠なテーマを追求してきたのに対し、『SAC_2045』ではこれらのテーマが表面的にしか扱われていない。特に、AIやサイボーグ技術の発展が人間社会に与える影響についての考察が浅く、単なるアクション作品に堕してしまっている感が否めない。

「持続可能な戦争」というコンセプト自体は現代的なテーマではあるが、その扱い方が単純で、従来の『攻殻機動隊』が持っていた社会批評の鋭さを感じさせない。

まとめ

『攻殻機動隊 SAC_2045』が批判される理由は、単に3DCGになったからだけではない。従来のシリーズが築き上げてきた「深いテーマ性」「緻密な世界観」「個性豊かなキャラクター」「印象的な音楽」といった要素の多くが失われ、その結果として『攻殻機動隊』というブランドにふさわしい作品になっていないことが最大の問題である。

Netflixオリジナルとしての制約や、現代のアニメ制作環境の変化も影響しているかもしれない。しかし、20年以上にわたって愛されてきたシリーズの続編として、ファンの期待に応えるだけのクオリティを提供できなかったことは残念でならない。

『SAC_2045』は決して駄作ではないが、『攻殻機動隊』という重い名前を冠する作品としては明らかに物足りない。この作品が「ひどい」と言われるのは、かつての『攻殻機動隊』が非常に優れていたからに他ならない。今後、シリーズが続くのであれば、かつての輝きを取り戻すための努力が求められるだろう。