2016年に放送された医療ドラマ「フラジャイル」は、長瀬智也主演、医療ミステリーという珍しいジャンルということもあり、放送前から大きな注目を集めていました。しかし、実際に視聴してみると、医療ドラマとしての基本的な質を欠いたひどい内容に、多くの医療従事者やドラマファンから批判の声が上がりました。本記事では、「フラジャイル」がなぜこれほどまでに「ひどい」と評されるのか、その理由を多角的に分析していきます。

医療監修の不在が招くひどい描写の連続

医療監修の不在が招くひどい描写の連続について解説します。

基本的な医療知識すら欠如

「フラジャイル」がひどいと批判される最大の理由は、医療監修がほとんど機能していないとしか思えない描写の多さです。主人公の病理医・岸京一郎(長瀬智也)が臨床現場で平然と患者の治療に介入するシーンは、医療体制を理解していればありえない光景です。病理医は検体を検査するのが主な仕事であり、直接患者と接して治療方針を決める立場ではありません。この基本的な役割の誤解は、ドラマ制作陣の医療に対する無理解を露呈しています。

検査結果の非現実的な速さ

ドラマ中では、複雑な検査結果が異常な速さで出てくる描写が頻繁に見られます。実際の医療現場では、組織検査や遺伝子検査には数日から数週間かかるのが普通です。しかしドラマでは、あたかもその場で結果が分かるかのような描写が多く、医療の現実を大きく歪めています。このような非現実的な設定は、視聴者に誤った医療知識を植え付ける危険性さえあります。

キャラクター設定のひどい矛盾

キャラクター設定のひどい矛盾について解説します。

天才病理医という設定の無理

主人公の岸京一郎は「天才病理医」という設定ですが、その行動は専門家としてあまりにも非常識です。医療現場で独断専行を繰り返し、他の医師を無視する態度は、現実の医療現場では即問題行動として扱われます。医療はチームワークが基本であり、たとえ優れた能力を持っていたとしても、このような行動は許されません。キャラクター設定のために医療の基本倫理を無視するのは、ひどい脚本と言わざるを得ません。

サブキャラクターの薄さ

主要キャスト以外のキャラクター描写が極端に薄いことも問題です。医療ドラマの醍醐味であるさまざまな患者の人間ドラマや、医療スタッフ同士の交流がほとんど描かれず、主人公の「天才ぶり」を強調するためだけに他のキャラクターが存在しているように見えます。これではドラマとしての深みが全く出ず、ひどいキャラクター配置と言えるでしょう。

ストーリー展開のひどい安易さ

ストーリー展開のひどい安易さについて解説します。

パターン化されたエピソード

「フラジャイル」の各エピソードはほぼ同じパターンで進行します。他の医師たちが誤診する→主人公が独自の方法で真相に迫る→感動的な結末、という繰り返しです。この単調なパターンは数回目にはすでに飽きがきてしまい、ひどいストーリー展開と感じざるを得ません。医療ドラマとしての多様性が全くなく、視聴者を飽きさせない工夫が欠如しています。

医学的根拠のない解決法

多くのエピソードで、医学的には全く根拠のない方法で病気が「解決」されます。主人公の独創的な(というより非科学的な)アプローチがことごとく成功するのは、現実離れしすぎており、ひどい脚本の典型です。医療ドラマである以上、ある程度の創作は許されるとしても、医学的合理性を完全に無視するのは視聴者をバカにしているとしか思えません。

演出面でのひどい点

演出面でのひどい点について解説します。

長瀬智也の過剰な演技

長瀬智也の演技が「過剰」だと感じた視聴者も少なくありませんでした。天才医師という設定のためにか、不自然にクールを装った演技が目立ち、かえってキャラクターの説得力が損なわれています。医療ドラマに必要な落ち着いた緊張感がなく、ひどい演出判断だったと言えるでしょう。

BGMと雰囲気のミスマッチ

シリアスな医療ミステリーというコンセプトながら、BGMや映像の雰囲気が時として軽すぎる場面があり、トーンに一貫性がありません。特に主人公が「閃き」を得る場面の演出は安っぽく、ひどい技術表現と批判されても仕方ないでしょう。

医療ドラマとしての倫理的問題

医療ドラマとしての倫理的問題について解説します。

患者の尊厳を無視した描写

いくつかのエピソードでは、患者のプライバシーや尊厳を無視したような描写が見受けられます。医療現場では最も重視されるべき患者の権利が軽視されているのは、医療ドラマとしてひどい倫理観の欠如です。

非現実的な医療成功体験

ほぼすべての症例で主人公のアプローチが成功するという設定は、現実の医療の複雑さや不確実性を全く反映していません。このような描写は、視聴者に誤った医療への期待を抱かせかねず、医療ドラマとしての社会的責任を放棄していると批判されます。

比較:他の医療ドラマとの違い

「コード・ブルー」や「医龍」などの人気医療ドラマと比較すると、「フラジャイル」のひどさがより明確になります。これらの作品では、医療現場のリアルな緊張感やチームワークがしっかり描かれているのに対し、「フラジャイル」は個人の天才性ばかりが強調されています。また、医療監修の質の差も明らかで、「フラジャイル」のひどい医療描写が浮き彫りになります。

まとめ

「フラジャイル」がこれほどまでにひどいドラマになってしまった原因は、医療ドラマを作る上で必要な最低限のリサーチと監修を怠ったためでしょう。医療の形式だけを借りながら、その本質を全く理解しようとしない姿勢が、結果としてひどい内容を生んでしまいました。また、主人公の個性を強調するあまり、医療ドラマとしてのバランスを完全に失ってしまったことも大きな要因です。

医療ドラマにはエンターテインメントとしての側面と、医療の現実を伝える教育的側面の両方が求められます。「フラジャイル」はこのバランスを完全に崩し、ひどい作品となってしまいました。今後の医療ドラマ制作には、このような失敗を繰り返さないよう、より一層の注意と努力が求められるでしょう。